2021年1月17日(日)
26年前の今日、私はミラノ駐在で、ヨーロッパ本社のハンブルグに出張していた。会議が終わってホテルに帰ると日本語テレビが相撲をやっていたが、すぐに消え、おかしいなと思っていたら画面が真っ白になり、アナウンサーの声が「高速道路が倒れたのはこのあたりでしょうか?」と言う。何か変事が起こったとは思ったが、それが神戸の街だったと知った時には驚いた。第二阪神と言っていた国道43号線の上に阪神高速が走っていて、それが倒れている映像を見たときは、とてもそれが信じられなかった。我に返ると、徳島の父母に電話した。これは幸いにも通じ、父母の健在と被害なしを確認できた。神戸すずらん台に住む弟に電話したが、通じない。翌朝ハンブルグのオフィスに出勤しても、仕事はさておき弟への電話を続ける。ほかの駐在員も同じことをしている。ハンブルグ滞在中には結局通じず、ミラノに帰ってからも電話にかじりついたまま2日が過ぎ、地震の日から4日目にやっと弟と話せた。被害は壁にひびが入っただけとのことで安心。
この翌月の二月に日本出張があった。仕事を終えて、暗くなっていたが、神戸に行こうと思った。阪急電車は通じていない。聞いてみると、JRで本山まで行ってそこからバスならいけないことはないとのことだった。大阪梅田から摂津本山まで行く。勿論普通しか走っていない。神戸行きのバスは阪神国道を走っているとのことで、JR本山の駅から阪神国道まで歩く。何階建てかのマンションがぺしゃんこになり、瓦礫の山。一か月たっても手が付けられていない状態。バスに乗って三ノ宮に向かう。一時間近く走ったと思うが、暗いところで運転手は、ここまでですから、降りてくださいと言う。ちょっと待ってください、私は、こんな真っ暗な所で降ろされても困ります。私は三ノ宮に行きたいのです。と言ったら、「お客さん、ここが三ノ宮です。」真っ暗な三ノ宮なんか、信じられなかった。
元町の友人を訪ねて行った。彼のビルの両側のビルは崩れていたが、彼のビルは崩れてはいなかった。勿論閉まっていたので、電話してお見舞いを言うと、遠いところから来てもらったけど、取り込んでいてお会いできませんという。そりゃそうだと思い、近くの生田神社に行く。屋根が落ちたままになっていた。長居できないので大阪に引き返した。復興にはとてつもない時間が必要だなあと思ったが、そんなに時間はかからなかった。今は、何事もなかったような街のたたずまいだが、真っ暗な三ノ宮は忘れられない。
ニューヨークでは、兵庫県人会が毎年1月16日(日本時間17日)の追悼行事を行ってきた。
FCINY
https://www.youtube.com/watch?v=TCnwWe0-BdA
綛谷さんのFB投稿
https://www.facebook.com/kasetani.masaki/posts/10221282464343868
NBC Nightly News
https://www.youtube.com/watch?v=MvLu0gVOpzE
今日の一曲
2014年1月17日早朝、東遊園地で行われた「1.17のつどい」で森祐理さんが歌う「しあわせ運べるように」
https://www.youtube.com/watch?v=nph6UXAQ7E0
「しあわせ運べるように」歌 : 神戸市立港島小学校
https://www.youtube.com/watch?v=oIfMOPz8s98