2022.0311.(Sat)
今日は311。11年前には偶々夜中にTVをつけたら東北に地震があったとの実況をしていた。海が引くのをニュース実況で見ていて、ああ、これは大きな津波が来ると家内に言っていた、しかし、その町の人は逃げる気配がない。それから数分後に津波が押し寄せ、おおきな人的被害が出た。私が最初に見た潮が引いているときにでも、いや、揺れが止まった時に避難していたら、もっと被害は少なくなっただろう。津波で亡くなった人にわるいので、これはあまり他人には言っていないが、「揺ったら登れ」をもっと多くの人に知ってもらいたい。私は1943年徳島県南で生まれ、一歳の時に1944年(昭和19年)12月7日の「昭和東南海地震」を、3歳の時に「1946年南海地震」を経験している。勿論一歳とか3歳の時の記憶はないが、「揺ったら登れ」は昨年102歳で亡くなった母が口癖のように言っていた。これは79歳になる今でもはっきり覚えている。
いつも四月初めにやるTax Fileを一ケ月ばかり早くやることになった。同窓会員だった王さんの会社でやってもらっていたが、彼はフロリダに移住して、そこで5年ほど前に亡くなった。自分より若い人がなくなるのはやりきれない思いである。そのご縁でいまだに王さんの会社でやってもらっている。今年は担当のMさんが一ケ月ほど早くしてくれというので、協力。おそらく一時帰国でもするのではないかと思う。
昨晩の送別会を、綛谷さんがFBにアップした。今日は、ブログの本文で取り上げることにする。
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綛谷 昌生
14時間前 ·
また会う日まで
昨夕は関西学院同窓会NY支部の仲間の皆さんが送別会を開いてくれはりました。
シンガポール、上海、NYと今までの海外生活では常に同窓会と繋がってきました。
NYでは3年間だけやけど支部長もやらしてもらいました。
同窓会での私の役目は、各会やイベントの最後にみんなで歌う校歌『空の翼』の前口上・エールをきるっちゅうことでしたな。
仰げば星斗闌干として悠久の真理を囁き
頭(こうべ)を巡らせば六甲の山野深々として著人(わこうど)の血を湧かす
天地の精気凝りて立つるもの 嗚呼~実に我が母校
されば歌わんかな 叫ばんかな 熱血の歌 情熱の調べ
関西学院大学校歌 空の翼
毎回この前口上を叫ぶとき、清々しい気持ちになりました。
サンフランシスコでも言うてもろうたらいつでもエールきるつもりです、、、。
昨夕の別れはレストランを出た後、マンハッタン5番街28丁目の路上での『讃美歌405番』、前支部長の西谷さんのリードで7人が小さな円になって歌いました。
讃美歌405番
神ともにいまして ゆく道をまもり
天の御糧もて 力を与えませ
また会う日まで また会う日まで
神の守り 汝が身を離れざれ
讃美歌で私を送り出してくれはる、、、さすが関西学院やろ。
西谷さん、一色さん、大樫さん、米田さん、船冨さん、松田さん、昨夜は有難うございました。
また会う日まで。。
Today’s Music : 讃美歌第405番「かみともにいまして」 · 新日本合唱団
https://www.youtube.com/watch?v=UAqlU-uEyEs
The Mormon Tabernacle Choir sings “God Be with You Till We Meet Again.”
NBC Nightly News