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2022.0416.(Sat) Memproal Service

2022.0416.(Sat)
次女育子の義父、BrianのMemorial Serviceは12:30にFonthill United Churchで始まった。最初、PastorがBrianは子供の頃にこの教会に来ていたなど、紹介した。次に息子の弔辞(というよりもBrian の思い出話で、Jokeを交えながらのいい話だった)、次いでColinが静かに話した。三番目は甥のDavidが弔辞を、4番目は91歳の姉が弔辞をささげた。三番目と四番目の間で、たぶんMezzoの歌い手がヘンデルのメサイアの20番He shall feed his flock like a shepherdをきれいに歌った。4番目の次には、主の祈りがあり、最後の奏楽はIt’s a wonderful worldだった。
このあと、墓地に行ったが、まだ穴が掘られていなかったので、遺灰は後日に埋葬することとなった。そして、28 Power Glen, St. Catherineの立派なお宅によせてもらい、ご近所でとれたワインと共に素晴らしい食事を頂いた。帰りのフライトは、おおいに揺れ、Newarkに着くと、雨だった。
朝は3時半に家を出発、空港には4:20に着いた。尚子夫婦はもう着いていて、チェックインを済ませていた。チケットカウンターで私のパスポートを見せると、非米国人なのでカナダのElectronic Visaが要ると言われた。尚子が15分ぐらいかかって携帯を操作してヴィザを取ってくれた。尚子がヘルプしてくれなかったら私は帰ってしまっただろう。トロントに着いてCovodの検査をした。米国へ帰るのに要るとのことだった。まず、滝を見に行って、そのあと教会に行った。途中のWelland Canalでは初めて運河の水門をみた。外洋からセントローレンス川を遡り、オンタリオ湖を横断してこの運河の水門8基によって99.5 mの落差を登ってエリー湖に達するというのは聞いていた。このハイウェイ401は、何度も走ってCanalがあるところは高架になっるのでよく知っているが、運転しているので、見ることはできず、今回初めて水門を見た。
1974年から4年間、私はシャープカナダを立ち上げて、一人前の会社に育て上げた。この功績が認められてその後シャープの経理マンとして一人前に扱われるようになった記念すべき場所なのである。別途、この四年間の苦労話を書いてみたいと思う。立ち上げに当たっては、カナダ市場の事務機の販売権を持っていた英国Dodwell社から、社屋、従業員、在庫などを引き取る実務から始まった。この時、Dodwell側の代表がMr.Stangenburgである。彼はドイツからの移民だが、”Canada is a good country to live. But also a good country to die.”と言っていたのをよく覚えている。
1978年に米国NJに転勤してから、イタリアの4年半と日本での2年半を除けば、ずっと喧騒と競争のアメリカにいたわけで、今回何年振りかでカナダにきて、ほっと心が休まるのを感じた。

Today’s Music: Then Shall The Eyes Of The Blind Be Opened/He Shall Feed His Flock – Handel’s Messiah

What a Wonderful World – (Louis Armstrong Cover) by Emily Linge

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