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日本一時帰国旅行記(5/22/2019-6/12/2019)

5月22日水曜日NY発 5月23日木曜日大阪着

Newarkのユナイテッドの荷物チェックインは自分で機械でチックイン、機械からスティッカーが印刷されて、荷物に張り付けて、長いこと並んで、荷物を預ける。日本行きはあっちへ行けとか、また戻れとか言われて頭にくる。結局受け付けてもらえたが、今度は重量超過だという。それでチョコレート二箱抜き出して手に持つ。セキュリティーチェックも長い列。バックパックが二回チェックされ、時間かかる。そのうち、ニシタニヒサタケ様、出発時間が迫っていますので、早く来いというアナウンスがあり、最後の客となった。 

                    
機内に入ると、ビジネスクラスに知人の水野さんがいて、お互いびっくり。座席はプレエコをもらい、快適だった。でも窓の外は翼なので何も見えない。隣は、ユナイテッドの職員だという20代の若いお嬢さん。イスラエル人だという。東京で、お父さんと弟が。イスラエルから先に行って待ったいるとの事。途中一回トイレと体操に行った。やっと成田について、降りるとき、なんと近藤さんがいた。成田から大阪行きに乗る。東京上空晴れていたが、もやで見えない。富士は4合目ぐらいから上しか見えなかった。富士はやっぱり長い裾野が見えないと値打ちがないと思う。

大阪に着いて、神戸に行く水野さんとわかれ、タクシーでホテルに着く。

5月24日 金曜日 大阪から徳島日帰り

梅田のホテルで朝二時ごろ目覚めた。コンピューターを取り出してメール始める。もう一度寝るつもりだったが、朝になってしまったので出かける。九時過ぎに、三男の道章と神戸で会い、彼の運転で徳島には12時前に着く。次男夫婦義隆、香都子もきて、母に会う。100歳のお祝いの額が3つもあり、母と写真撮る。

知事とのアポイント変更の電話が入る。昼食は、近くの日本料理伊月笹の庄。少量だが、おいしかった。後日徳島にまた来るので、徳島のホテルに寄って、徳島関係の土産物など荷物あづけ、道章の運転で一路帰阪の途につく。車内では、ほぼ寝ていた。友人の大丸前の服部眼鏡店オーナーの北出さんのところで降ろしてもらった。北出さんご夫妻と話し、眼鏡クリーンしてもらった。JRで梅田に帰る。

5月25日 土曜日 大阪から東京へ
四時前に起き、メールチェック。今日は新幹線で東京へ。途中もやがかかっていたが、富士山付近は珍しく快晴で長い裾野が撮れた。

 

東京は新橋駅蒸気機関車前で、高校の合唱団KCGHのメンバー、若林、高橋、榎本の四人で待ち合わせ。付近のおいしいモダン中華料理でKCGH「ゆかい」東京支部総会開催する。

  
                  

5月26日 日曜日 東京から徳島へ
朝四時に目覚めるが、もう一度寝て9時前に起きる、今日は孫に会う日で、支度をして10時半にホテルを出る。山手線で品川から新宿に降り立ち、京王プラザホテルまで歩く。息子夫婦と孫の姿を探したが、まだ来ていないようだったので、先に会場に入る。ほどなく現れた。孫の知純は元気いっぱいで、よくしゃべるし、よく食べる。

NYから持っていったおサルさんのぬいぐるみがいたく気に入ったようだ。 

食事が終わって、羽田へ行くまで新宿御苑に行くことにする。暑いが気持ちのいい日だった。知純は走ったり、しゃがんだり、木の枝を拾ったり、お掃除と称して土を掻いてみたりと忙しい。

バラ園でバラをみて、休息所で休む。このあたりから、抱っこが多くなる。

御苑を出て、新宿バスタというバスターミナルまで、一家で送ってくれた。羽田行のバスにのる。フライトは定刻通り六時半に離陸、徳島へは7時40分着。富士山は夕暮れだったのと、右側の座席がとれなかったので、あまり思うような写真は撮れなかった。

徳島空港から徳島駅まで、バスで来て、ホテルにチェックインしたら、九時になっていた。

5月 27日 月曜日 徳島

タクシーで、天水連連長のご自宅にお邪魔する。さすが有名連の連長だけあって、しっかりとした頼りになる人物。団体としては、交通費、宿泊費が必要で、県の観光政策課にお願いしてはどうかとの事。そこで、ぜひ個人的にNYに来てくださいとお誘いした。

今晩天水連の公演があるので招待を受けた。7時に山田連長がホテルに車で迎えに来てくれて、阿波おどり会館に向かう。会館では八時から公演。山田連長の司会で、素晴らしい踊りを見せて頂いた。公演中に「ニューヨーク連」も紹介してもらった。

ホテルに帰って、近所のイタリアンに行く。昨年遍路の時にはイタリア人シェフがいたが、もう辞めたとのことであった。

5月28日 火曜日 徳島

ホテルで資料のコピーとって、雨の中タクシーで朝10時に県庁に行く。国際課の課長が出張中とのことだったが、観光政策課に方々にもお会いできた。

観光政策課 阿部課長、中原主任

国際課、松岡副課長、平田課長補佐、笠井主任主事 の5名の方にお会いする。

8月の日本三大盆踊りについて、資料で説明した。皆さん熱心に聞いてくださった。これからいろいろ検討してみますということであった。阿部課長は、日和佐の合同庁舎に二年間務なさったことがあるとの事。

 

近藤タクシーの近藤社長ト昼食。HIP連のメンバーで2011年にNYに踊りに来てくれたが、今や徳島のみならず、日本のタクシー業界では知らない人はないほど、有名になった。途中、HIPを組織した岡田育大さんとテレビ電話で話す。

それから、駅にいって、牟岐線の汽車に乗る。約一時間半で私の生まれた町、日和佐に着く。駅では次男夫婦が待っていてくれて、ホテル白い灯台で夕食を一緒にとる。甥二人は、仕事で来れないとのことだった。

5月29日 水曜日 徳島から大阪へ

ホテル白い灯台はえびす洞温泉だから、当然朝風呂。それから、立島を眺めながら朝食。

9時に義隆が迎えに来てくれて、生家のある隣駅の山河内に行き、墓参り。海部観光の橘から出る11:45のバスに乗る。12:55徳島発、三時半ごろ梅田着。

5月30日 木曜日 大阪 高校の合唱団KCGHのゆかい総会。


KCは、潮崎、池田、三宅、上原、小林 KGは、西谷、若林、中西、坂東、梅垣、丸尾、元木、上田、北出、吉見、会場:芦屋 竹園吉見さんの司会で始める。若林の「北朝鮮問題」の展望と日本の対応 というプレゼンテーションが続く。終わりの質疑応答も、真剣な意見が出る。続いて、食事。魚と肉。飲み放題。一人ずつ簡単なスピーチ。病気自慢と孫自慢は禁止。時間が来たので、最上階のカフェに移動。

某氏は、肝臓がんで肝臓一つ失う。別の方は、左右別々の乳がん、喉頭がん、肺がんを経験し、完治する。驚きである。

                          
5月31日 金曜日 大阪

昼食は、NY男声合唱団の先輩、大西ご夫妻。阪急インターナショナルのナイト&デイ、バイキング。そのご、クラシックの喫茶店に行く。とてもいいオーディオ機器がある。大西さんもCDとLPレコード持ち込み、かけてもらう。モーツアルト、パレストリーナ、ヴィヴァルディを聞いた。

帰りに、東急ハンズで買い物。夕食は、シャープの田嶋さん、石黒、水野、塩崎、田根。

道頓堀は治兵衛の「はも料理」   

 

6月1日 土曜日 大阪から鳴門へ

十時半のバスにのる。高速鳴門で降りて、タクシーで会場へ。一時からのミーティングに間に合う。前鳴門市長の亀井さん、LA第九の棚野さんなど顔見知りにあう。
ニューヨーク第九シンガーズ日本支部の河原さん、田根さん、林さんも間に合う。そのご、合唱練習のあと、元シャープ液晶事業部、鳴門第九を歌う会会員、武さんに徳島のフレンチに連れて行ってもらう。10時過ぎにホテルチェックイン。

 
6月2日 日曜日 鳴門コンサート、県知事

9時にホテルからバスで会場に向かう。朝から合唱練習に続いてゲネプロ。昼食はお弁当が出る。本番は一時半から。暑いし、ぎゅうぎゅう詰め。観客席もぎっしり。会場は1000人弱しかはいらないし、ステージには600人のシンガーとオーケストラがいる。会場が狭すぎると思う。

終わって、待たせてあったタクシーで徳島に向かう。指定された徳島のホテルで、飯泉知事にお会いする。公演ビデオを見て頂いて、阿波踊り「ニューヨーク連」の発足を報告したところ、知事からは「おめでとうございます」との祝辞を頂いた。                  

折り返し鳴門に帰り、交流会に参加する。ニューヨーク第九シンガースの挨拶には、間に合わず。代わりの人が挨拶してくれたとの事。ホテルに帰って温泉に入る。八時からLA第九の人たち5-6人と夕食。皆さんは延々とおしゃべりしていたが、私は10時に切り上げて、やすむ。

6月3日 月曜日 徳島から大阪へ

昨日の雨も上がり、予報では曇りのち晴れ。8時半に武さんの車で出発。徳島道を貞光で降りて、貞光川に沿って登る。11時前に1420mの見ノ越着。ここで簡単なお昼をたべて、登山リフトにのる。リフトの終点、西島というところは1750m、途中シャクナゲの花盛り。西島11:45発、剣山頂上1955mには12:45着。頂上付近はガスがかかって見通しがきかない。   
 



 
下って見ノ越には、2時過ぎにつく。ここから、降りる途中で、天気は晴れて緑がきれいだった。もう少し早く晴れてくれれば、頂上からの眺めが楽しめたのだが。大阪行きのバスのりば、阿波池田バスターミナルまで行き、16:30の阪急バスに乗る。大阪着は、20時10分。

6月4日 火曜日 大阪から京都へ

午前中は、京都に持っていくもの、大阪のホテルに残していくものの仕分けをし、一時にチェックアウト。新快速で京都へ。京都駅からホテルまでは、荷物があるのでタクシーを使う。
ホテルには、二時過ぎに着いたが、チェックインは3時からというので、荷物を預ける。部屋も準備できているはずなのに、なぜチェックインしないのか、日本のホテルの悪しき習慣。16時に桂離宮の見学許可をもらっていたので、ホテルで行き方を聞く。
16時から桂離宮を見学する。暑い。一時間足らずで見学は終わる。ここは、周囲の景色が見えないように木を植え続ける必要があるため、今年から有料にしたとのこと。見学料千円。

帰りは、偶々来たバスに乗ると京都駅に着いた。今夜は、元シャープ社員の前川さんと食事のため、南座の前で18:40待ち合わせ。前川さんの奥さんが、このあたりのご出身だとのことで、いろいろよく知っている。祇園の「たに本」というところで懐石。老舗の味もお酒もなかなかおいしい。

6月5日 水曜日 京都

今日は、朝食時にオラトリオの仲間とはじめて会う。9時に集合して、バスにのり、9時半に金閣寺に向け出発。金閣寺では、修学旅行生が多くて、大混雑。11時に見学終わって、今度は二条城に行く。暑い。二の丸御殿の中は撮影禁止。二の丸庭園はハスの花がきれいに咲いていた。 

本丸御殿は修復中。庭園は思いのほか小ぶりなのは意外であった。次は、平安神宮だが、車窓から。これでオラトリオの団体観光は終わり。ホテルに13:40頃戻る。

6月8日の仙洞御所見学と修学院離宮見学の許可もらいに、御所の中にある宮内庁に行く。途中、羊羹の虎屋があった。見学をネットで申し込むと、いろいろ質問されて、なかなか進まないが、宮内庁窓口ではそれらが会話の中ですんでしまうし、空いているかどうかその場で回答があるので、ネットよりもずっと楽である。14時に終わる。お昼がまだなので、ホテルへ帰る途中でカレーを食べる。

三時に、ニューヨークの逢坂ゆかりさんが来ることになっている。逢坂さんは、ダンサーで、阿波踊りダンサーの一人だったが、4月21日の講習会の翌日から、神戸にきて、来年一月11日の公演の準備をしている。自分ではじめて振り付けたダンスの公演だとのこと。メサイア・バリトンソロの大西宇宙(タカオキ)君とホテルロビーで話していると、逢坂さんがホテルに着いたので、大西君に紹介する。

そこへ、オラトリオのマエストロ、Kent Tritleが登場。いつの日か、この三人が共演するかも知れない。

それから、ロビーで逢坂さんと二時間ばかり話し、夕食にお誘いする。場所は、京都駅11階のの和久傳伊勢丹。北山と東山を望むという景色のご馳走に大満足。

JR京都駅で別れて、今日は地下鉄と、ホテルのシャトルバスで帰った。

6月6日 木曜日 京都
朝今出川通のコインランドリーで洗濯。帰りは今出川御門を入って御所の中を歩き、蛤御門より出る。あの幕末1864年の「蛤御門の変」の激戦地といわれる場所である。こういう歴史上有名な場所でも、さりげないたたずまいを見せているのが、京都という町の不思議であり、魅力である。

オラトリオの団員は、12時に集合し地下鉄に乗ってリハーサル会場に向かう。太秦天神川という駅から1マイルほど歩いた京都外語大学の講堂が練習場。団員は、バスの送り迎えがないので、かなりご不満のようだ。練習ホールはいいホールだった。オケもかなりの水準とみた。一時半半から四時半までリハ。終わって地下鉄でホテルに帰る。

6月7日 金曜日 京都コンサート
コンサート当日である。朝食おわったら、ツアーの責任者Oscarがフロントで東京駅から成田まで何時間かかるかと聞いている。事情きいてい見ると、指揮者のケントとパートナーのアーサーが、友人が亡くなったので、急遽帰国しないといけなくなったらしい。Oscar には、成田から帰るのなら、鉄道で行くよりも、伊丹から飛行機がいいと言ったら、ヘルプしてくれというので。彼の部屋に行く。旅行社にきいても、飛行機の方がいいという。JALに電話すると56,000円というとんでもない値段を言うので、ニューヨークへ電話して、250ドルの料金で。済ませた。

今日はバスで、小雨の中を会場に向かう。なかなかいい会場である。着くと伊藤玲於奈さんがいた。主宰者前田さんの知り合いだから、手伝っているとの事。楽屋もきれいし、ステージもきれい。リハは二時から五時。KCGHの金房さんから、オルガンの追中さんのことを聞いていたので、間の休憩時間にお話する。
            

リハが終わってから、誰かに会えないかなと思って外に出てみる。元NY男声の吉国さんにあう。それから、KCGHの赤松君と室谷さん。
7時から本番始まる。ソロの人たちもよく歌え、我々も、オケもとてもよかった。ハレルヤでは、聴衆が立ってくれた。

終わってから、外に出ると帰る人の中でKCGHの金房さん、若林さんに会えた。 

6月8日 土曜日 京都

雨は止んだが曇っている。

仙洞の御所見学を9時半から約一時間。 この間雨は降らなかったが、終わったとたんに降り出した。御所の中の休憩所で休むが、上がりそうもないので、11時と少し早いが昼食にする。食べていると雨が上がり日が差してきた。バスで、修学院離宮に向かう。13:30から修学院離宮見学。見晴らしの良い離宮で、遠く大阪まで見えるはずと案内人は言っていた。


三時前に見学終わり、近くの銀閣寺に行く。ここは観光地で、お店が並んでいる。500円払って入ると、さすがにきれいにしている。

 
地下鉄で京都駅に行く。京都駅の上のレストラン街で、夕食。土曜日なので混んでいて、かなり待たされた。

6月9日 日曜日 京都

レストランの朝食締め切りに間に合うよう、降りていって、おかゆを食べる。最初の日をのぞいて、すっとおかゆにした。部屋に帰って、雑事、特に書き溜めた日誌とか、コンサートの感想をくれた人たちに返事を書く。三時にホテルをでる。翌日、スーツケースで移動するので、エレベーターがあるかをチェックする。京都はさすが、地下鉄もJRもちゃんとエレベーターがある。ただし、サイズが小さいので、一度に乗れない人もいる。5時に難波の会場に着く。今日の出席者は米国シャープの管理の人たち15名。北條、浅川、内海、村脇、西尾、市川、定末、廣瀬、坂本、福澤、潮、佐々木、太田、西谷、近藤。二時間の飲み放題だから、7時すぎに終わった。残念ながら、記念写真はない。JRで帰るも京都では眠っていたらしく、一駅東の山科で気が付いた。

6月10日 月曜日 京都から大阪へ

今日は京都のホテルをチェックアウトする日で、12時にチェックアウトしたら、オラトリオの東京観光に行く人達は一足先に出発していた。御所を見学しようと、見学入り口に行ったら、やけに静か。皇宮警察がいたので聞いたら、月曜日は閉まっているとの事。これは忘れていた。明日火曜日は空いてますかと聞いたら、明日も閉めます。今日の午後から上皇陛下がお見えになるので、とのこと。御所でお泊りですかと聞けば、大宮御所ですとのことで、つい先日見せてもらったところ。ずっと京都にいてくれたらいいのにね、と言えば「その通り、もう東京へなんか行かんといてほしいですわ。私ら、両陛下が京都へお見えになると、『おかえりなさいませ』というんです」。ホテルに帰ってベルキャプテンに聞くとさすが上皇陛下のご帰還は知っていた。英語でなんというか聞いたら、ネット見て、the Emperor, Emeritusだと。上皇后陛下は、the Empress Emerita 形容詞が女性形になるようだ。

シャトルバス、地下鉄、JRと乗り継いで、大阪のホテルにチェックイン。孫の兜を買いに松屋町に行く。最初に入った増村人形店の人の応対がよかったので、そこで買うことにした。関東系と京系があり、京都系というだけで値段が張るとの事。形は春日大社の鎧兜を模写した竹雀にし、材質は錫がいいというので、それにした。

 この店は海外発送はしないとのことで持ち帰ることにした。人形店は、昔は何十軒とあったが、今は三軒しかないそうで、三軒とも回ってみたが、まあ、この増村がましかなあと思えた。夕食は、イタリアの元社長、楠君に声をかけたが、都合つかず、次回会う事にした。

6月11日 火曜日 奈良


今日は、大学のゼミの人たちと奈良へ。11時20分集合のはずだが、11時15分には、全員集合していた。タクシー三台に分乗して、天平クラブで昼食。正岡子規がここで滞在して、子規の庭というのがある。大きな鯉がたくさん泳いでいた。昼食後、大仏に会いに行く。

  

その後お水取りで有名な二月堂から、奈良の街を見る。ついで三月堂。たくさんの仏像がある。そこから一行は興福寺に向かうが、私は興福寺を諦めて帰阪。昨日あたりから歯が痛む。寝不足のせいであろう。(とその時は思ったが帰米後に診てもらうと、Root Canalすなわち神経を抜く必要があり、旅行中大事に至らなかったのは幸いであった。)

6月12日 水曜日 帰米


マンハッタン・ミッドタウン


ダウンタウン金融街