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2022.0822.(Mon) Villar de Manzarife-Hospital de Obiego 14.9km 9.3miles

2022.0822.(Mon) Villar de Manzarife-Hospital de Obiego 14.9km 9.3miles
Left Manzarife and kept walking west. Had lunch at Villavante and kept walking. Arrived a place I remembered well, the Rio Obiego. I still think this bridge over the Rio Obiego was the model of Tappanzee Bridge over Hudson River in New York. In front of the hotel, I met with a Japanese, studying in Cordova. He was from Takarazuka, student of Kansai University. Had dinner with him for the night.
There is an well-known story here called “Tournament of 1434”: In 1434, the Leonese knight Suero de Quiñones held a tournament in which he or one of his companions challenged all men of equal rank who wished to cross the bridge here to a jousting tournament, Suero holding this bridge in the name of unrequited love. By 1434 the skill of jousting was not a standard part of military training but the challenge was taken seriously. Since 1434 was a Jacobean holy year [es], the traffic upon the Road of St James was considerable. The tournament lasted from July 11 until 9 August and Don Suero claimed to have broken 300 lances by the end. Twenty four years later Suero de Quiñones was killed by Gutierre de Quijada, a knight he had beaten at the 1434 tournament.

今日は距離が短く、宿から宿まで歩きます。Manzarifeの宿を出て、6㎞で運河を超え、次の4㎞でVillavante村に着き、ランチをしました。汽車の線路とか、高速道路、普通の道路などを超え、4㎞ほど行くと、着きました。 Obiego川です。それと川をを渡るマルチアーチの橋です。現在水が流れている川を渡るアーチは2つですが、流れていないところを渡るためのアーチは17あります。以前は、この川幅を必要とする流量があったのですが、上流にダムができたので、流量が減り今の状態になったとのことです。巡礼の救護院(hospital)は聖ヨハネ騎士団によって建てられ、その周りに集落が形成されたそうです。私は、このオビエゴ橋は、ニューヨーク州を流れるハドソン川にかかるTappanzee橋のモデルになったと信じています。宿の前で、コルドバで語学留学中の若い日本人に会い、後刻橋を見ながら夕食を共にしました。
いろいろな伝説のある橋ですが、スペイン観光公式サイトhttps://www.spain.info/ja/meisho/kyuu-oburigo-kyou/ には、この橋について次のような逸話を紹介しています。
「中世の馬上槍試合の橋。ドン・スエロと彼の決闘の伝説が、中世ファンをこの橋へと引き寄せます。13世紀に架けられたこの橋は、サンティアゴ・デ・コンポステーラへと続く巡礼者のルートにおける通過点として機能していたもので、現在でもその役割は健在です。伝説によると、この橋で、橋を渡ろうとする外国人たちを相手にレオン出身の騎士が決闘を挑みました。愛するドニャ・レオノールと交わした苦役の約束を完遂するためです。その苦役のために、彼は毎週木曜日に断食をし、首に重い鉄の輪をはめなければなりませんでした。決闘で、彼は300本もの槍を折る必要がありました。それには成功しなかったものの、馬上槍試合の審判団は、ドン・スエロの戦いぶりに報いる形で彼を首輪から解放したということです。この橋が「パッソ・オンロッソ(名誉の通り道)」と呼ばれるのはそのためです。」
また、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会のガイドブックによれば、「聖なる年1434年、ドン・スエロは9人の騎士と共に、この橋を通ろうとするものと戦い、1か月の間、誰もこの橋を渡らせないか、300本以上の槍を折る(勝利する)と宣言。7月10から8月9日まで、スペイン人、フランス人、ドイツ人、ポルトガル人、イタリア人の挑戦者と戦い、見事に一人として橋を通さず、誓いを守ったという。なお、折った槍は166本。後略」とあります。

Guided by a yellow arrow.


The bridge and Rio Obiego

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