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2022.0912.(Mon) Series-Camino summary 1)フランスの農村を歩く

2022.0912.(Mon)
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Series-Camino summary 1  
カミノ・週刊ニューヨーク生活原稿‐2022/12/31 カミノ・デ・サンティアゴ100日巡礼より転載

Map of the way of St James In Europe (https://en.wikipedia.org/wiki/Santiago_de_Compostela#/media/File:Stjacquescompostelle1.png) by Manfred Zentgraf, November 18, 2006. Creative Commons BY-SA 3.0 license.

Camino はスペイン語で「道」という意味です。SantiagoはSaint(聖)Iago(ヤコブ)のことです。すなわちキリストの12使徒の一人である、ヤコブが最初の殉教者となり、当時殉教者は列聖されて聖ヤコブSant Iagoとなりました。Compostelaは、造語でCampo(野原)Stella(星)、つまり「星の野原」に聖ヤコブの遺骸が発見され、そこに教会を建てたのが、現在スペイン北西部にあるSantiago de Compostela という説が有力です。(諸説あります。)巡礼が終わると巡礼証明書がもらえます。この巡礼証明書もCompostela とよばれています。巡礼の歴史などの詳細については、https://camino-de-santiago.jp/go-santiago/about-santiago を参照ください。
生家が四国88ヶ所の巡礼道に面していましたので、幼少の頃より巡礼を見て育ちました。見ていたばかりでなく、門前で般若心経をあげる巡礼に、ご報謝をあげるのは、幼い私の役目でした。当時は、一握りのお米をあげるのが、ご報謝でした。なぜ、私の役目になったかと言いますと、幼児は手が小さいからです。成人すると、四国88ヶ所を回るのが、家のしきたりでした。私の場合、成人した後すぐに海外駐在に出ましたので、2003年に定年になってから、1200kmを全部歩いて回りました。2018年に渡米50年記念の際にも歩いて回りました。
カミノ・デ・サンティアゴについては、2010年ごろ友人から聞き、ああ、ヨーロッパにも巡礼道があるのか、それなら是非歩きたいと思いました。2013年、古希記念に、フランスのトウルーズから、1200㎞彼方のサンティアゴ目指して歩き出しました。9日間で150㎞ほど歩き、ピレネーの連山が綺麗に見えているところで車にはねられ一週間入院し、やむなく帰米しました。二回目は、フランスを避けて、2015年仏西国境の町から800㎞彼方のサンティアゴに無事到着しました。しかし、やはりアルルから出発する1600㎞のアルルの道を歩きたくて、2020年、喜寿を記念して計画しました。 しかしコロナの為にやむなく延期、この度2022年にやっと念願が叶いました。
5月28日、イベリア航空でパリに着陸、そこからTGVで南仏のアルルに着きました。2日間準備をして、6月1日に一歩を踏み出しました。ところが、予期せぬ熱波で熱中症にかかり、20.9㎞の行程で最後の900mが歩けなくなり、立往生してしまいました。親切な人が車で宿まで送ってくれましたので事なきを得ましたが、この出来事より、一日20㎞以上は、なるべく歩かない方がいいこと、水をNJでの倍以上、3.5Lを持つことなどを学びました。
今回の計画では、5/29から9/10まで全期間宿を予約しており、途中で計画に無い休みを取る事は出来ませんでした。6/1から9/8の間、行動日85日、休養日15日、計100日なのですが、計算上は1600/85=18.8で20㎞以下に収まります。しかし、計算通りに宿があるとは限りません。現実は半数の42日が一日20㎞以上を歩く計画とせざるを得ませんでした。このうち、計画通りに20㎞以上歩けたのは10日間で、あとの32日は躊躇なく一部の距離を乗り物に乗りました。こうすることで、加齢とコロナによる体力の衰えに起因する致命的な大事故を防げたと思います。

第一部 フランスの農村を歩く 南仏アルル(6/1出発)– ソンポート峠(7/18到着)
Via Arles、Via Torosana、 GR-653など名前は種々ありますが、通常南仏のアルルからピレネー山脈、ソンポート峠の間の約800㎞をさします。主要な通過地は、Montpellier、 Castes、 Toulouse、 Auch、 Orolon Saint Marieなどです。ここを歩きながら、フランス人はなんと幸せな人たちなのかと思いました。それは、地味の肥えた大地と、ピレネー、中央高地、それにアルプスから流れ出る河川によって潤され、豊富な食糧が生産されているからです。ラテン系3国(イタリア、フランス、スペイン)の中では、最も富んでいる国でしょう。
2000年前、ローマ人、ユリウス・カエサルがアルプスを越えて当時ガリアと呼ばれていたフランスに遠征し、ローマに服従しない部族はライン川の彼方に追いやって、服従するものはローマまたはラテンの市民権を与えられました。それ以来、Pax Romana(ローマによる平和)に組み込まれ、外敵の心配がない状態で生産にいそしむことができたのは、まことに幸運であったと思います。また、地形的にも南東側はアルプス、南西側はピレネーの間で、温暖な気候にめぐまれ、地震、台風、洪水などの危険もほとんどなく、しかも人が生きていくうえで必要なものが揃っているというまことに恵まれた土地だと思います。
さて、予定通り6月1日、アルルの町にあるローマ時代の墓地、アリスカン墓地にあるアルルの道の起点から出発しました。

6/1 アルルのアリスカン墓地にある、アルルの道起点
フランス南部の農村地帯を歩きます。アルルからモンピエまでの一週間ほどは、ローヌ川のデルタ地帯を歩きますので、平坦でした。

6/4 Villetelleの丘

それから、2週間ほどをかけて中央高地の山々を越えます。

6/14 Col du Lyrac 付近

高地といっても、最高点が1019mなので大した高さではなく、急峻でもないので、ほとんどが耕地として作物が作られています。

6/15 Pyloneの中央高地最高点1019m付近、耕地になっている。

中央高地を降りると、ガロンヌ川の流域に入ります。ここからピレネー山脈の山地に当たるまではほぼ平坦で、豊饒な農地が3週間あまり続きます。これは、耕地の少ない日本で育った者には、とても羨ましく、フランスの食糧自給率100%というのも、十分うなづける景色でした。それに引き換え、日本の食料自給率はわずか40%と言われており、食料の大部分を輸入に頼っている日本は、国家として致命的欠陥があるのではないかと憂慮します。そして、ほとんどの国民がそのような危機的状態を知らないと思います。

7/01 Monferran の村、豊饒な土地に豊かに作物が育っている。

ガロンヌ川平野が終わると、ピレネー山脈をこえるための峠の登りにかかります。4日ほどで1400mほどを登り、1640mのソンポート峠を越えます。

7/16 Bedous付近より、ソンポート峠を望む。
昔からの往還なので、道はよくできていましたが、一部氷河で削られたであろう谷の部分は、人道を作る余裕がなかったと見えて車道を歩きました
私は、かねてより、ピレネー越えの鉄道に大変興味を持っています。日本語ウイキペディアによれば、「1915年にはソンポート峠にソンポート鉄道トンネルが掘られ、1928年にはスペインのカンフランクとフランスのポーを結ぶポー/カンフランク鉄道が開通した。貨物列車による事故が起こったため、この鉄道路線は1970年3月27日に運行を休止している。」とあり、つい最近、50年ほど前までは鉄道が通じていたのです。また、Guradian紙7/19/2021によれば、「フランスとスペインは、二国を繋ぐ7.8㎞のソンポート・トンネルの再開に向けて作業をすることに2020年に合意した。EUの支持を得てカンフランク・ラインと駅は2026年までに全面的に操業を開始すると希望されている。」 とあり、今後の進捗がとても楽しみです。

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